インドネシア中央部、セレウェシ島の村々を探訪した。2008/4/7

インドネシア中央部、セレウェシ島の村々を探訪した。氷河時代、現在のインドシナ、マレーシア、インドネシアが一つになって形成していたスンダランドから、黒潮を北上して日本列島にやって来た人類がいたということを実証するための航海のリサーチをするためだ。今までインドネシアから日本までインドネシアの木造船で航海した例は三つある。青森の博物館がインドネシアで建造した構造船、ボロブドゥールの仏塔の壁面に描かれた船のレリーフを再現した構造船、そして山本良行氏によるダブルアウトリガー・カヌーによる航海の三例だ。いずれもエンジンを装備し、駆動して航海が行われた。 

今回はダブルアウトリガー・カヌー(両サイドにフロートをつけたカヌー)を使い、エンジンは搭載せず、風の力(帆走)と人力(パドリング)だけで行う史上初の航海になる。2万7千の島々のあるインドネシアの中でスラウェシ島を選んだのは、船の博物館といわれるほどに様々な民族が多様な構造をもった船を作っているからだ。

今回の探訪の目的は
 1.どのようなカヌーを作るか。
 2.どこで作るか。を決めるために幅広く各地域、各民族のカヌーを見て回るためだ。

移動はチンタラウト号という52トン、長さ26m、200馬力のエンジンを搭載した帆走船だ。愛媛大学の遅澤克也氏の計らいで貸してもらい、なおかつ遅澤氏に同行していただいた。南スラウェシのマカッサル沖のスペルモンデ諸島、大型構造船を作っているビラ、タナベル、セラヤール島南端のバフルワン島、マンダール人のエリア。北スラウェシではゴロンタル、サンギール、バジョ(パジャウ)を見てきた。

日本まで帆走して行くカヌーを作るためにモデルとなるカヌーを探したのだが、ほとんどがエンジンを搭載して走っていて、帆をつけて走っている大型船はもちろん、小型のカヌーも極めて稀だった。

唯一の例外がマンダール人の住むタンガタンガで見たサンデックだ。長さ10メートル前後のものから、1~2人乗りのものまで、浜辺に並んでいた。マンダール人は漁民だが、実際に漁のために使う大きいものは一艇だけだった。1~2人乗りの小さいものは漁に使われていた。

大きいものはレース用で、ホルストというドイツ人がマンダール人の優れたカヌー作り、帆走術を保存していこうと独立記念日に合わせてマジェネからマカッサルまで180キロ5日間にわたる帆走レースを始めた。そのレースがなければ廃れてしまう運命にあったろうと言われている。

しかしサンデックというダブルアウトリガー・カヌーはそれほど伝統的なカヌーではなく、スピードに特化したカヌーだ。船体が細く、特に前方は高く反り上がっていて、水を切って走る。船体の長さに比して帆が大きい。遅澤氏は「30ノット出ますよ、カヌーのF1ですね」と言う。デッキは板で覆っていて、カヌーに海水が入り込むことはない。潜水艦のようなカヌーとも言える。一日乗船させてもらったが、確かにスピードは出るし、安定感もある。舵を操作させてもらったが、固い。慣れているマンダール人は簡単そうに操作しているが、身体全体を使ってようやく固定させることができる。

このサンデックは新しいタイプのカヌーだが、その前の型として、Pakurという型があり、その前にOlanmesaという古い型のカヌーを使っていたという。先端がサンデックほど反り上がっていなくて、短くてずん胴だ。デッキも全面カバーしているのではなく、中央部は開いている。スピードはでない。日本までの航海はスピードは必要なく、安定性と長距離航海ができるカヌーが必要なのでわれわれの目的に適しているかもしれない。

しかし、もう一つわれわれの航海に適したアウトリガー・カヌーが見つかった。サンギール諸島を中心にスラウェシ島北部、フィリピンに住んでいるサンギール人が使っていたものだ。彼らの古い型のLondeというカヌーは先端のそり上がりが二重になっている長さおよそ7mのダグアウト・カヌー(丸木舟)で、漁師がその先端に座ったり、抱え込んだりして、銛や漁網を操作した。Londeは台湾の舟とも似ていて、インドネシア、フィリピン、台湾のつながりも見えて今回の航海には最適だ。北スラウェシの北海岸にLondeがあるというので、それを探しに行った。しかし、Londeの新しい型のPelangという船に近いものはあったが、Londeは見られなかった。Pelangもどきのカヌーもすべてエンジンを使って動くものだ。

インドネシアは産油国で石油が外貨獲得の半分を占めている。ガソリンがあればカヌーをエンジンで走らせた方が風任せの帆走船より便利だ。天候さえよければ、目的地に確実に時間を計算して行ける。エンジンも小型で燃料をそれほど消費しないものが入っている。漁師たちは帆を捨て、エンジンを選択したのも分かるような気がする。まだ日本に向かうカヌーの決定打はないが、Olanmesaを基本にして考えようと思う。インドネシア人の同行者も見つかった。Ridwanという29歳のマンダール人で、タンガタンガに住んでいる。大学は中退したが、ジャーナリストとして活躍してしていて、既に二冊の海、船に関する優れた本を出していて、スラウエシの若者たちのヒーローだという。写真も撮れるし、ビデオも撮影できる。人柄も優しく温厚だ。フットワークもよい。彼に他の二人のインドネシア人スタッフの人選も任せた。「カヌーも若いマンダール人の船大工に造らせたい」と言う。

問題はどこで造船するかだ。候補地としてタンガタンガ、ビラ、バフルワン島、またはマナードのアレックスさんの造船所。アレックスさんはサンギール舟の研究で修士になり、長崎大学に留学して沖縄のサバニ舟の研究で博士になった船の専門家で、現在、マナード大学の教授だ。マナードの近くに造船所を持っている。「ここで日本に渡るカヌーを作ってもいいよ。協力するよ」と流暢な日本語で言ってくれた。造船所で造ることのメリットは、大きな木が獲得できることだ。うまくいけばダグアウト(刳りぬき)のカヌーを造れる可能性もある。スラウェシ島では北部以外の場所は大きな木材の獲得が困難だ。しかし南部スラウエシ、マンダール人のカヌーを基にした船を作るのにマンダール人の土地以外で作るにはいくつかの問題が残っている。マンダール人にとってカヌーは人体に例えられていて、カヌーの各部の名称も人体の各部になぞらえている。船は命であり、その素材である木のある森には精霊が住んでいる。木を切るにはその精霊の許しを請わなければならない。マンダール人とカヌーと森、海との関係を知るためにはマンダール人の土地でカヌーを作るのがいいと思う。しかし大きな木がないというジレンマがある。解決にはしばらく時間がかかりそうだ。