「新グレートジャーニー 南方ルート」 2008/3/4

6~7万年前、アフリカを出た人類は世界中に拡散していったが、多くの者は東に向かった。同じ緯度のほうが天候の変化もなく移動しやすいからだ。東に向かうとヒマラヤにぶつかるので、その南か北に回らなければならない。多くの者は温暖で雨の降る南に向かった。ここからインドシナに向かうと氷河期海面低下で、インドネシアと陸続きになっていた幻の大陸スンダランドに至る。ここはアジア人の原郷と言われ、住みやすいところだった。そのため人口が増える。やがて温暖化のため、スンダランドは海に浸食されていった。そのために突き出された者たちは中国大陸を北上、一部は朝鮮半島から日本列島に入って来た。これが南方ルートだ。

旅を始める前にインド、カンジス川の流域で行われるヒンズー教最大の巡礼祭クンブメーラを見に行った。ヒマラヤの南麓に人々が集まってくる様を体感したかったからだ。ふだん誰も住んでいないところに一千万人を越える人々が集まる。そこで沐浴し、祈りを捧げる。しかし祭りの前、メディアではガンジス川の水質汚染と水不足のために、サドゥー(聖者)たちは沐浴を拒む声明を発表した。行政は慌てて上流の汚染にかかわっている工場の操業を一時的に停止させ、支流や運河から取水して、やっと巡礼祭が開かれた。渇水の原因は反対運動を押し切って建設された上流の発電ダムだ。旅の最初にインドの大動脈ガンジス川の抱える環境汚染、水質汚染と水の汚染にぶつかってしまった。私たちは石油や天然ガスはなくても生きていけるが水なしでは生きていけない。私はこの後も恵みの水で生かされる人々、汚染と渇水の進む河川を見ていくことになる。

旅はヒマラヤの南麓ネパールから始めた。何回も訪れた国だ。インド経由でブータンに入り、アップダウンの激しい道を横断した。この仏教国は賢明な国王の施策で、いたずらに経済発展を優先して国民総生産をあげることを目指すのではなく、国民すべてが幸福に暮らせるようにと、国民総幸福量という考えを政策に打ち出している。森林伐採も制限され、その他の資源開発もしない。少なくとも輸出は厳禁されている。インド、アッサム地方に出て、ミャンマーに向かおうとしたが、国境地帯でテロ事件が発生、通行許可が下りなかった。ルート変更を迫られて、ヒマラヤ北麓、チベットのメコン川水源から再スタートした。今回は多くの国境越えがあり、初めて越えられない国境がいくつか出た。