漂海民の少女インチライニ・2012/4/11

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 ビガガの長女、つまりムスターファの姉がインチライニだ。弟と同じようによく働く。いつも笑顔を絶やさない。15歳になるが、母親ができることはほとんどこなしている。ビガガの家船に滞在している時は彼女が私の世話係だ。何日も同じシャツを着ていると、「洗濯するから脱ぎなさい」と剥ぎ取っていく。ズボンも剥いでいく。恥ずかしいのでパンツだけは死守して自分で洗った。

 木造船は必ず船底に水がたまる。毎日5、6回、ビルジポンプという手動式のポンプで水を汲み出す。本来はムスターファとインチライニの仕事だが、船の中で病人でも出なければ、食料獲得能力は極めて劣り、他に役立たずの私が水汲みをした。結構腕力が必要で、長くやっていると、腰が痛くなる。しかし船の中は運動不足になりがちなので、いい運動になる。

 野菜、穀物以外の食べ物は海が提供してくれるが、水と薪だけは近くのバルバック島か東カリマンタン(ボルネオ島)まで行って調達しなければならない。バルバック島の住民の半分はバジョだ。しかし家船生活はしておらず、海の上に杭上家屋を建てて住んでいる。テレビや大きなスピーカーを備えたCDレコーダーを持っているバジョもいる。

 インチライニは一度バルバック島の同世代のバジョの少年に好意を寄せた。しかし、少年の両親の反対によって付き合いをやめさせられた。杭上家屋に住むバジョは家船生活をするバジョを蔑視している。ふつうは結婚しない。ビガガの両親も二人の付き合いを反対していた。実はインチライニには親が決めた許嫁がいる。遠い親戚だが、マレーシアに住んでいて、数回しか会ったことがない。

 バジョは親戚同士で結婚することが多い。考えようによっては楽でいい。自分で努力しなくても結婚相手は決まっているし、就活という発想もない。男女ともに漂海民として一生を送るからだ。日本でも江戸時代までは同じようなものだった。結婚相手や職の選択範囲は狭まるが、結婚できないとか失業ということはない。バジョ同士で職業、肩書き、年齢など私たちの社会では、プロフィールに当然のるようなことを聞き合うのをみたことがない。

 インチライニに尋ねると「婚約者に不服はないし、結婚するのを楽しみにしている」という。結婚する時期は相手が船をもてるようになってからだ。バルバック島の若者にはもう未練がないようだ。

 バジョの女性はとてもおしゃれだ。彼らの持ち物は多くない。全財産を一隻の船に置くので、もてるものは限られている。その中で衣服の占める割合が大きい。

 熱帯の海だ。汗をかく。そのため毎日衣装を変える。水はポリタンクに汲んであるが、貴重だ。島に寄った時に思い切って洗濯をする。島には必ず井戸があり、ふんだんに水が使える。

 船を漕ぐ写真はインチライニがバルバック島で洗濯をして、ボッコという小型カヌーで家船に引き返すところを撮ったものだ。インドネシアにはおよそ200の民族がいるが、女性がパドルを漕いでカヌーを動かすことは珍しい。必要になれば、母親と一緒に家船のエンジンをかけて、操作もする。

 東南アジアでは肌、特に顔が白いことが美人の重要な条件だ。目鼻立ちより重視される。衣装もおしゃれだが、朝の化粧も丹念にする。米の粉に植物の汁を混ぜたものを顔や首筋に塗る。これが日焼け止めになる。美しくあるためには紫外線は強敵だ。

 また髪型も今はやりのものを知っている。島に上陸した時に、テレビを観たり、雑誌を観て、あるいは店の人や知り合いから聞く。家船生活者の中に専門の美容師はいない。女たちは全員が美容師だ。お互いに研究しながら髪型を整える。きれいになるための執念はどこも同じだ。

 バジョは特別な楽器を持っていないが、常に歌っている。特にボッコという小型のカヌーに乗る時、数百メートル離れていても聞こえるほどに大声で歌う。誰かに聞いて欲しい訳ではなく、恵みをもたらす海に向かって叫んでいるようだ。水平線に届くような伸びやかな歌声が海面を伝わっていく。バジョの歌のレパートリーは広く、大きな島に行けばプロの歌手もいる。結婚式の披露宴には必ず必要で、歌手が披露宴のプロデュースをする事もある。歌声にあわせて女たち、子供たちが踊り出す。

 インチライニの妹はまだ1歳。小さなハンモックに揺られて寝る。インチライニはハンモックを揺すりながら子守歌を歌う。揺れとハスキーな歌声に、ぐずっていた赤ちゃんも眠りについた。バジョ語で歌った歌詞をマレー語に訳して欲しいと頼んだが、「マレー語がそれほどうまくはないので」と言って断られた。

 ビガガ夫婦もインチライニも私の家族や生い立ち、仕事のことなど、根掘り葉掘り尋ねてくる。私が5人兄弟の末っ子だと言っても驚かないが、私の職業歴を話すと、お互いささやきあいながら驚いていた。

 海外を旅していて宿に泊まるとき、職業欄を埋めなければならない。「医師」「教員」「探検家」「サイクリスト」「作家」「写真家」「映像プロデューサー」「カヌーイスト」「クライマー」「マッシャー(犬ぞりつかい)」。

 さらにアルバイトをしたことのある「土方」「建設現場の労働者」「新聞の営業」「貨物船の警備」「家庭教師」「塾講師」「塾経営者」「プレス工」「なめし工場の職人」「ボルト・ナット工」「予備校の試験監督」「パン職人」「ホテルの皿洗い」「海の家従業員」「野外教室講師」「塗装職人」「ヨットハーバーの用務員」「アパートの管理人」「スキー小屋労務員」「山小屋労務員」「翻訳」など、次々あげていくと、目を丸くして驚いていた。

 しかし彼らの職業は何かといえば一言ではいえない。「百姓」という言葉が本来は単に農民を表している訳ではないのと同じように、男に関して言えば、魚介類を取っているだけでない。「船大工」「船乗り」「機械工」「営業」「床屋」などすべて自分たちでやるマルチタレントなのだ。

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