
今年の出航地、南イロコス州のダルダラートで、10人のクルー全員で記念撮影。昨年までの2年間、同じメンバーだったが最年長のインドネシア人クルーの一人が、日本大震災のあった3月11日の朝遭難死して、欠けてしまった。
気象庁の5月25日の午後の発表では、台風の状況は以下のようになっている。28日の午後に私たちのいるバタン諸島は暴風域に入ることになっている。それまではじっと待って、台風の通過するのを待つ。ここで壊れたらもうしょうがないだろうという完璧な避難港に縄文号とパクール号を入れて、ロープで引っ張った。
〈28日15時の予報〉
強さ 非常に強い
存在地域 沖縄の南
予報円の中心 北緯 21度10分(21.2度)
東経 123度50分(123.8度)
進行方向、速さ 北 15km/h(8kt)
中心気圧 935hPa
中心付近の最大風速 50m/s(95kt)
最大瞬間風速 70m/s(135kt)
予報円の半径 300km(160NM)
暴風警戒域 全域 480km(260NM)
台風2号が去ってもまだ1~2日はうねりが残るので、ここを出航するのは早くても今月31日の予定だ。順調にいけば6月2日に台湾の蘭嶼島に入り、6月10日には台湾本島の成功港という幸先のいい名の港を出て沖縄を目指す。しかし今までの航海で計算通りに行ったことはない。

午前5時前からうっすらと明るくなるが、東の空から西の空へジワリとピンクあるいはオレンジ色に色付いてくる。毎朝様々な色に変わる雲を見るのは楽しみの一つでもある。もちろん西の水平線が熱い雲でおおわれて、どんよりと鼠色のままのことも多い。

疾走する縄文号。ニワトリをペット化して飼っている。賭けで闘鶏をよくやっている出航地のダルダラートで縄文号、パクール号それぞれ1羽ずつ購入した。パクール号はすぐに首を切り、おなかに収めてしまったが、縄文号は餌をあたえ、ペットにしてしまった。とはいえ、なついているわけではない。

アーム(横木)とパラット(フロートの竹)を結ぶへの字型のタデイ、これらを結んでいるのがロタン(籘)で、釘のようにがっちりと固定せずに、弾力性があり、しなやかにばねのように動くことによって壊れにくくなっている。最近ではロタンは使われず、テグス(ナイロンの釣糸)が利用されるようになった。

この海峡は太平洋と南シナ海の間にあり、複雑に潮が行き来しているうえに黒潮が流れていて、さらに潮を読むのを難しくしている。幸い海は大きく荒れることはなくここまで来たが、超大型台風2号がこちらに向かっている。

船を走らせながら料理をする。料理は豚を食べないイスラムのインドネシア人クルーに合わせて作る。食事のタブーのため、異文化の食事に慣れやすい日本人が、慣れにくいインドネシア人に合わせた。それ以上に彼らの料理は旨い。

竹という素材もしなやかで強いが、虫が食ったり劣化したりで弱ることもある。この日少し強い風が吹き、ブーム(帆を張っている棒)が折れた。こういうアクシデントは常におこる。大切なのは、事故を予防する最新の注意と、事故が起こってしまったらいかに迅速に対処するかだ。

日の出はいつみても飽きない。マヤ文明では太陽は隠れている間にエネルギーをみなぎらせ、再び出てくる。太陽が出てこないことを恐れて、敵の戦士の首や血をいけにえにささげた。太古から人々は、太陽が出たり没したりする現象をどう考えていたのだろうか。

フィリピンのルソン島と台湾の間にある海峡をルソン海峡という。私たちの航海の難所の一つだ。島から島へと移動していくが、島の間が長いと夜も航海する。左手に見えるのが3つ目の島Babuyan島と火山。この後夜の航海になり、雨と雷に見舞われた。

フィリピンの北部がアウトリガーカヌーの北限になっている。ポリネシア、ミクロネシアではシングルアウトリガー、インドネシアとフィリピンではダブルアウトリガーカヌーだが、同じダブルでもインドネシアとフィリピンとでは違う。

3度の食事にはご飯が欠かせないが副食も多彩だ。釣った魚を食べることが多いが、食べきれないと干物にする。この日は豪華な伊勢海老が料理された。自分たちで取ったわけではなく、土地の漁師から買った。たまにはこんな贅沢をする。いつも魚がたくさん捕れるわけではなく、ひとかけらのしょっぱい干し魚でどんぶり一杯のご飯を食べることも。

いつも順調に航海しているわけではない。逆風、逆潮、無風の時私たちは立ち往生してしまう。その時は帆をたたんで待つか、懸命にオールを漕ぐ。しかし漕いでもせいぜい時速2キロ/時だ。風が吹けば5~6キロ/時は出る。