写真報告・航海日誌 Batan島Bascoより 2011/5/25

今年の出航地、南イロコス州のダルダラートで、10人のクルー全員で記念撮影。昨年までの2年間、同じメンバーだったが最年長のインドネシア人クルーの一人が、日本大震災のあった3月11日の朝遭難死して、欠けてしまった。

今年の出航地、南イロコス州のダルダラートで、10人のクルー全員で記念撮影。昨年までの2年間、同じメンバーだったが最年長のインドネシア人クルーの一人が、日本大震災のあった3月11日の朝遭難死して、欠けてしまった。

 気象庁の5月25日の午後の発表では、台風の状況は以下のようになっている。28日の午後に私たちのいるバタン諸島は暴風域に入ることになっている。それまではじっと待って、台風の通過するのを待つ。ここで壊れたらもうしょうがないだろうという完璧な避難港に縄文号とパクール号を入れて、ロープで引っ張った。

〈28日15時の予報〉
 強さ 非常に強い
 存在地域 沖縄の南
 予報円の中心 北緯 21度10分(21.2度)
 東経 123度50分(123.8度)
 進行方向、速さ 北 15km/h(8kt)
 中心気圧 935hPa
 中心付近の最大風速 50m/s(95kt)
 最大瞬間風速 70m/s(135kt)
 予報円の半径 300km(160NM)
 暴風警戒域 全域 480km(260NM)

台風2号が去ってもまだ1~2日はうねりが残るので、ここを出航するのは早くても今月31日の予定だ。順調にいけば6月2日に台湾の蘭嶼島に入り、6月10日には台湾本島の成功港という幸先のいい名の港を出て沖縄を目指す。しかし今までの航海で計算通りに行ったことはない。

午前5時前からうっすらと明るくなるが、東の空から西の空へジワリとピンクあるいはオレンジ色に色付いてくる。毎朝様々な色に変わる雲を見るのは楽しみの一つでもある。もちろん西の水平線が熱い雲でおおわれて、どんよりと鼠色のままのことも多い。

午前5時前からうっすらと明るくなるが、東の空から西の空へジワリとピンクあるいはオレンジ色に色付いてくる。毎朝様々な色に変わる雲を見るのは楽しみの一つでもある。もちろん西の水平線が熱い雲でおおわれて、どんよりと鼠色のままのことも多い。

疾走する縄文号。ニワトリをペット化して飼っている。賭けで闘鶏をよくやっている出航地のダルダラートで縄文号、パクール号それぞれ1羽ずつ購入した。パクール号はすぐに首を切り、おなかに収めてしまったが、縄文号は餌をあたえ、ペットにしてしまった。とはいえ、なついているわけではない。

疾走する縄文号。ニワトリをペット化して飼っている。賭けで闘鶏をよくやっている出航地のダルダラートで縄文号、パクール号それぞれ1羽ずつ購入した。パクール号はすぐに首を切り、おなかに収めてしまったが、縄文号は餌をあたえ、ペットにしてしまった。とはいえ、なついているわけではない。

海の状態とか、潮の流れ、風などによって違うが、おおむね午前5時前後に出航する。コーヒーやミロ、お茶を飲んだり、軽い朝食をとる。すでに明るくなってきていて、5時半頃に太陽が昇る。

海の状態とか、潮の流れ、風などによって違うが、おおむね午前5時前後に出航する。コーヒーやミロ、お茶を飲んだり、軽い朝食をとる。すでに明るくなってきていて、5時半頃に太陽が昇る。

縄文号の上で食事の用意をしている。素焼きの窯で、薪を燃やし、湯を沸かし、ご飯を炊き、おかずを作る。途中での薪と水の補給は欠かせない。

縄文号の上で食事の用意をしている。素焼きの窯で、薪を燃やし、湯を沸かし、ご飯を炊き、おかずを作る。途中での薪と水の補給は欠かせない。

アーム(横木)とパラット(フロートの竹)を結ぶへの字型のタデイ、これらを結んでいるのがロタン(籘)で、釘のようにがっちりと固定せずに、弾力性があり、しなやかにばねのように動くことによって壊れにくくなっている。最近ではロタンは使われず、テグス(ナイロンの釣糸)が利用されるようになった。

アーム(横木)とパラット(フロートの竹)を結ぶへの字型のタデイ、これらを結んでいるのがロタン(籘)で、釘のようにがっちりと固定せずに、弾力性があり、しなやかにばねのように動くことによって壊れにくくなっている。最近ではロタンは使われず、テグス(ナイロンの釣糸)が利用されるようになった。

この海峡は太平洋と南シナ海の間にあり、複雑に潮が行き来しているうえに黒潮が流れていて、さらに潮を読むのを難しくしている。幸い海は大きく荒れることはなくここまで来たが、超大型台風2号がこちらに向かっている。

この海峡は太平洋と南シナ海の間にあり、複雑に潮が行き来しているうえに黒潮が流れていて、さらに潮を読むのを難しくしている。幸い海は大きく荒れることはなくここまで来たが、超大型台風2号がこちらに向かっている。

船を走らせながら料理をする。料理は豚を食べないイスラムのインドネシア人クルーに合わせて作る。食事のタブーのため、異文化の食事に慣れやすい日本人が、慣れにくいインドネシア人に合わせた。それ以上に彼らの料理は旨い。

船を走らせながら料理をする。料理は豚を食べないイスラムのインドネシア人クルーに合わせて作る。食事のタブーのため、異文化の食事に慣れやすい日本人が、慣れにくいインドネシア人に合わせた。それ以上に彼らの料理は旨い。

海は山と同じで頻繁に天候が変わる。雲の状態がいつも変わっていて、その状態によって日差しも変わる。木漏れ日が差しているくらいならいいが、雲がないと、じりじりと私たちを焼け焦がす。

海は山と同じで頻繁に天候が変わる。雲の状態がいつも変わっていて、その状態によって日差しも変わる。木漏れ日が差しているくらいならいいが、雲がないと、じりじりと私たちを焼け焦がす。

竹という素材もしなやかで強いが、虫が食ったり劣化したりで弱ることもある。この日少し強い風が吹き、ブーム(帆を張っている棒)が折れた。こういうアクシデントは常におこる。大切なのは、事故を予防する最新の注意と、事故が起こってしまったらいかに迅速に対処するかだ。

竹という素材もしなやかで強いが、虫が食ったり劣化したりで弱ることもある。この日少し強い風が吹き、ブーム(帆を張っている棒)が折れた。こういうアクシデントは常におこる。大切なのは、事故を予防する最新の注意と、事故が起こってしまったらいかに迅速に対処するかだ。

日の出はいつみても飽きない。マヤ文明では太陽は隠れている間にエネルギーをみなぎらせ、再び出てくる。太陽が出てこないことを恐れて、敵の戦士の首や血をいけにえにささげた。太古から人々は、太陽が出たり没したりする現象をどう考えていたのだろうか。

日の出はいつみても飽きない。マヤ文明では太陽は隠れている間にエネルギーをみなぎらせ、再び出てくる。太陽が出てこないことを恐れて、敵の戦士の首や血をいけにえにささげた。太古から人々は、太陽が出たり没したりする現象をどう考えていたのだろうか。

雲が様々な形を変えて出現するが、空一面に広がるうろこ雲が好きだ。もちろん天を突くように発達した入道雲も大好きだ。

雲が様々な形を変えて出現するが、空一面に広がるうろこ雲が好きだ。もちろん天を突くように発達した入道雲も大好きだ。

フィリピンのルソン島と台湾の間にある海峡をルソン海峡という。私たちの航海の難所の一つだ。島から島へと移動していくが、島の間が長いと夜も航海する。左手に見えるのが3つ目の島Babuyan島と火山。この後夜の航海になり、雨と雷に見舞われた。

フィリピンのルソン島と台湾の間にある海峡をルソン海峡という。私たちの航海の難所の一つだ。島から島へと移動していくが、島の間が長いと夜も航海する。左手に見えるのが3つ目の島Babuyan島と火山。この後夜の航海になり、雨と雷に見舞われた。

フィリピンの北部がアウトリガーカヌーの北限になっている。ポリネシア、ミクロネシアではシングルアウトリガー、インドネシアとフィリピンではダブルアウトリガーカヌーだが、同じダブルでもインドネシアとフィリピンとでは違う。

フィリピンの北部がアウトリガーカヌーの北限になっている。ポリネシア、ミクロネシアではシングルアウトリガー、インドネシアとフィリピンではダブルアウトリガーカヌーだが、同じダブルでもインドネシアとフィリピンとでは違う。

3度の食事にはご飯が欠かせないが副食も多彩だ。釣った魚を食べることが多いが、食べきれないと干物にする。この日は豪華な伊勢海老が料理された。自分たちで取ったわけではなく、土地の漁師から買った。たまにはこんな贅沢をする。いつも魚がたくさん捕れるわけではなく、ひとかけらのしょっぱい干し魚でどんぶり一杯のご飯を食べることも。

3度の食事にはご飯が欠かせないが副食も多彩だ。釣った魚を食べることが多いが、食べきれないと干物にする。この日は豪華な伊勢海老が料理された。自分たちで取ったわけではなく、土地の漁師から買った。たまにはこんな贅沢をする。いつも魚がたくさん捕れるわけではなく、ひとかけらのしょっぱい干し魚でどんぶり一杯のご飯を食べることも。

いくら波が高くても、雨が降っても、薪に火をつけ、手抜き料理はしない。ただしインドネシア人クルーはインスタントラーメンが大好きだ。

いくら波が高くても、雨が降っても、薪に火をつけ、手抜き料理はしない。ただしインドネシア人クルーはインスタントラーメンが大好きだ。

いつも順調に航海しているわけではない。逆風、逆潮、無風の時私たちは立ち往生してしまう。その時は帆をたたんで待つか、懸命にオールを漕ぐ。しかし漕いでもせいぜい時速2キロ/時だ。風が吹けば5~6キロ/時は出る。

いつも順調に航海しているわけではない。逆風、逆潮、無風の時私たちは立ち往生してしまう。その時は帆をたたんで待つか、懸命にオールを漕ぐ。しかし漕いでもせいぜい時速2キロ/時だ。風が吹けば5~6キロ/時は出る。

オールを漕ぐ前田次郎とダニエル。1年目と比べて漕ぐ機会は少なくなった(1年目は3分の1は漕いでいた)。3時間も漕ぐと尻や手にまめができる。漕いでいるこの桟敷の上で夜はごろんと横になって寝る。

オールを漕ぐ前田次郎とダニエル。1年目と比べて漕ぐ機会は少なくなった(1年目は3分の1は漕いでいた)。3時間も漕ぐと尻や手にまめができる。漕いでいるこの桟敷の上で夜はごろんと横になって寝る。

Sabtang島のChavayan村に住む104歳の老人。豊かな海産資源と畑の野菜、ココナツが豊富で、水も山から引く。長寿の人が多いという。サンキチという日本人がこの島で住んでいたことがあり、親しくしていたという。

Sabtang島のChavayan村に住む104歳の老人。豊かな海産資源と畑の野菜、ココナツが豊富で、水も山から引く。長寿の人が多いという。サンキチという日本人がこの島で住んでいたことがあり、親しくしていたという。

Sabtang島を出てBatan島に向かう。これらの島々は台湾とルソン島の真ん中で、太平洋戦争中は日本兵が1万人以上派遣されていた。文化や言葉はフィリピンより、台湾の蘭嶼島に近いという。

Sabtang島を出てBatan島に向かう。これらの島々は台湾とルソン島の真ん中で、太平洋戦争中は日本兵が1万人以上派遣されていた。文化や言葉はフィリピンより、台湾の蘭嶼島に近いという。

3キロ程のカツオを釣った。

3キロ程のカツオを釣った。

ムスリムの彼らは礼拝をする。ただし航海3年目になり、メッカに向かって礼拝するのはイルサン1人になってしまった。彼は天候にかかわらず、走行中でも礼拝をする。

ムスリムの彼らは礼拝をする。ただし航海3年目になり、メッカに向かって礼拝するのはイルサン1人になってしまった。彼は天候にかかわらず、走行中でも礼拝をする。

23日、この海域唯一の避難港Mahatao港に縄文号とパクール号を避難させた。両側を岸壁で囲まれ、運河のような安全な港で、それぞれ4~5本のロープを張った。

23日、この海域唯一の避難港Mahatao港に縄文号とパクール号を避難させた。両側を岸壁で囲まれ、運河のような安全な港で、それぞれ4~5本のロープを張った。