2006年の12月はディレクターの山田和也くん、チベット研究者の貞兼綾子さんと… 2007/1/11

2006年の12月はディレクターの山田和也くん、チベット研究者の貞兼綾子さんと一緒に夏に行った青海省、メコン川の水源地帯の遊牧民社会で医者をしていました。標高4700mの厳冬期のチベット人社会での医療活動は初めてです。

夏にに出会った14歳の少女が気になったので、青海省の首都西寧の病院に連れてきて、治療をするためです。左足が巨大に腫れ、歩行困難、疼痛のため、二年生まで通った小学校はやめ、家で暮らしていました。この辺境は中国語もほとんど通じず、西洋医が来るのは初めてだというので、私の到来を待っていました。痛い足を引きずって兄と妹に連れ添われ、「診察してください」と言ってきました。

2歳の時から大きくなったようです。ということは先天的な奇形ではなく、骨腫瘍、その中でもまれで悪性度の高いユーイング腫瘍を疑いました。痛みのために夜も眠れないことがあるといいます。病歴、症状を語りながら、うっすらと涙を浮かべていました。学校では成績がよかったようです。夢は学校の先生になることだといいます。しかしその時、私には何も出来ませんでした。メコン川の水源の山に登り、カヌーで下る計画もあり、何も出来ずに別れました。しかし帰国後、毎日痛みで苦しんでいる彼女のことが気になり、山田和也と相談して彼女を西寧の病院で治療してもらおうということになりました。

ちょうど11月に高所医学会に青海大学副学長で高所医学を研究している格先生が発表のためやってきていました。増山茂氏に格先生を紹介してもらいました。格先生は信州大学の医学部出身で日本通です。

少女のところに行く前に西寧で格先生と会いました。彼が病院長、骨科(日本の整形外科、ちなみに歯科は牙科といいます)に連絡してくれ、治療体制を作ってくれました。なおかつ病院長が国の民生局(日本の厚労省)と掛け合ってくれて、明天計画(トゥモーロー・プラン)で治療費、入院費、付き添いの母親の食宿代が出ることになりました。なおかつ彼女の足は悪性腫瘍ではなく、巨指症、先天的な奇形と言うことがわかり、手術で直せるという見通しが立ちました。

放牧地で初めて出会ったとき、彼女はチュンツォーと呼ばれていました。本名だと思っていたのですが、チュンとは水ぶくれという意味で、巨大足のためのあだ名でした。本名はペーマツォー(蓮華の咲く湖)でした。学校をやめたのも皆から虐められたというのが一番大きな原因のようです。

放牧地を発つ前、「最近で一番いいことってどんなこと?」と尋ねたら、「これから西寧の病院に行って治療を受けられることです」と言っていました。西寧に着いたときも彼女にとってはじめての大都会と放牧地とどちらがいいと尋ねると、西寧といいます。理由を聞くと、「私を治してくれる病院があるから」と応えました。

XS線写真を見せてもらいましたが、骨が肥大した皮下組織、脂肪組織にまで延びて、骨も肥大していてかなり難しい手術になりそうでした。治療の目標はスムーズに歩けるようになり、左右の足の大きさが同じになることですが、時間をかければ完治するような気がします。後は復学して彼女の夢がかなえられるかは彼女の努力次第です。