トナカイぞりで旅をする・1999年3月

コリャークのキャンプ

コリャークのキャンプ



シベリアを旅することになってから、ぜひ一度はトナカイゾリに乗ってみたいと思っていた。オホーツク海に面したミキノ集落でその夢が実現した。そこのリーダー、アナトリ・ニコライビッチ・ティネンティエフさんは、1年のほとんどを遊牧地で暮らしているということだった。以前は10軒ほどの集落があったというミキノも、廃村となっていたが、アナトリさんたちは、この季節はここを拠点として、トナカイの遊牧を続けているのだった。

翌朝、アナトリさんがソリ用の小型のトナカイを連れてやってきた。西シベリアのトナカイはもっと大きいので騎乗できるが、ここのトナカイは騎乗用には使わない。パンをあげようとしたが、トナカイはパンの方には目もくれず、人間の尿が染み込んだ雪を旨そうに食べている。トナカイたちにとっては、人間の尿も貴重な塩分の補給源なのだ。そういえば、腰に塩をぶら下げておくと、トナカイが寄って来ると聞いたことがあった。実際に、近くの雪に向かって立ち小便してみると、さっそくトナカイたちが集まって来た。

いよいよアナトリさんの「トナカイゾリ講座」が始まった。「…ソリに乗る時には、両足でソリを挟むようにして、ソリから落ちないように、しっかりと身体を固定すること。…右足の部分に、先端が尖って湾曲している鉄の棒が付いているので、それと足の裏を使って、ブレーキをかけること。…トナカイに近寄る時は、必ず右側から近づくこと。トナカイたちはそういう風に訓練されているから、左側から近寄られると、怖がってしまう…。」そのほかいろいろな注意を聞いたあと、実際にソリに試乗してみることになった。最初はアナトリさんが、自分のソリに私のソリを結びつけて走り出した。アナトリさんの動作を見ながら、ソリに乗る感覚を覚える。思ったよりもスピードが出る。コリャーク族の文化に、どっぷりと浸っている気分になった。

2時間半ほど走り、雪の少ないところに出た。トナカイゴケと呼ばれる地衣類が露出しているところもあった。トナカイたちは前脚で雪を蹴散らして、このトナカイゴケを食べ始めた。根までは食べず、地表に出ている部分だけをきれいに食べている。そうすると、コケはまた蘇生して、1年を通じてトナカイたちのエサになるのだという。トナカイゾリと犬ゾリとを比べてみると、その使い勝手は、一長一短だ。トナカイゾリの長所は、なんと言っても犬ゾリのようにエサを運ぶ必要がないことだ。ツンドラ地帯には、至る所にトナカイゴケという地衣類がある。ソリを引くトナカイたちは、このコケがあれば生きていくことができる。逆に、トナカイゾリでは、犬が多いや村には入れない。犬たちに追い立てられると、トナカイが逃げてしまうため、そうした村や町に入る時には、4、5km手前でトナカイを放してやらなければならない。そうなると、放牧のための監視人も必要になる。また、遊牧民同士の縄張りがあって、訪ねる場所ごとにトナカイゾリを乗り継いで行かなければならないという。

1台のソリを、2頭のトナカイが引く。ハーネス(引き具)をたすき掛けにしてソリに繋いだ。首には手綱がかかっていて、馬と同じように、それを引っ張ったり緩めたりして進行方向を指示する。微妙なコントロールが必要だが、慣れればなんとかなりそうだ。

遊牧民のベルトには、コリャークが旅する時に必要なものが付いている。大・小のナイフ、マッチ、釣り道具、砥石、衣服や靴の修繕に使うための針と糸…。アナトリさんが言う。「このベルトさえあれば、私たちコリャークは、どんな状況になっても生きていけるよ」

コリャークたちは、顔や体つき、大きさのほかに、角の切り方などで1頭1頭のトナカイを識別できるのだという。だから、それぞれちゃんと名前も付いている。

手綱の付け方と扱い方を教えてもらう。操縦は、犬ゾリよりも、馬の扱いに似ている。トナカイゾリは、2頭のトナカイが並んで引くのだが、右側のトナカイの方がより重要だという。だから2本の手綱とも、右側のトナカイの両脚の付け根を叩けるように通してある。まず、速度を上げる場合は、右側のトナカイの両脚を叩く。右に曲がりたい場合は、右手の手綱を引っ張りながら、左の手綱でトナカイの左脚を叩く。左に曲がりたい時はその逆だ。2頭のトナカイのペースが合わず、どちらかが遅れるようだったら、遅れている方のトナカイの右脚の付け根を、鞭で叩く。止まる場合は、2本の手綱を引きながら足でブレーキをかける。トナカイが暴れた時も、手綱を引いて抑える。「もしソリが倒れたり、ソリから落ちたりしても、右の手綱は絶対に離してはいけないよ。左手の手綱は離してもいいが、とにかく右手だけは何があっても手綱を握り続けるんだ」

とにかく、実際に走らせてみることになった。手綱でトナカイの脚を叩きながら、アナトリさんのソリに必死で追いつこうとする。連日、最低気温はマイナス40℃近くまで下がるというのに、額や胸から汗が噴き出てくる。鞭は、トナカイゾリ専用の独特のものを使う。細く、しなやかな枝の先端に、セイウチの牙やトナカイの角で作った三角形の針が付いている。鞭を振るって、その針先がトナカイの尻から右足の付け根の部分に当たるように使う。すると、一瞬にしてグーンとスピードが増す。いったん鞭を振るえば、その後しばらくは、鞭を使う仕草をしたり、手綱で尻を叩くだけで、トナカイは奮起するようになる。ところが物分りのよくないトナカイは叩く真似をするだけでは奮起しない。そのため何回も尻や脚の付け根を鞭で叩かれることになる。トナカイの右尻や脚の付け根を見ると、トナカイの性格が分かる。物分りのいいトナカイは毛が抜けていないが、物分りの悪いトナカイは何回も尻を叩かれるので毛が抜け落ちてしまっているのだ。

慣れてくると、1人だけで練習した。まっすぐ走らせるのは問題ないが、Uターンするのが難しい。馬やロバと同じように、トナカイも、乗り手の技量が分かるらしい。曲がろうとして手綱を操作しても、思うように動いてくれないのだ。アナトリさんによれば、左手の手綱の使い方が下手だという。それでも、トレーニング終了後、「師匠」のアナトリさんは私に5段階評価で4点くれた。あとは旅をしながら、実践で技術を磨いていかなくてはならない。

ヘニヴェーヨン小屋に1週間滞在したあと、いよいよ次の目的地ウスチパレン村へと出発した。しかし、いくら汗びっしょりになって手綱で叩いても、どうしてもアナトリさんたちのソリに追いつけない。雪が深くなっているところで溝にソリの滑走面がはまって転倒した。注意されたように、右の手綱だけは決して離さず、トナカイを抑えながら、ソリを起こして乗り直した。

中間地点で、焚火をおこし、たっぷりと時間をかけて昼食をとることになった。トナカイは、馬と同じように視界が広く、自分の後方も見える。だからいったん鞭で叩くと、しばらくは鞭を振り上げる真似をするだけで、逃げるようにスピード・アップする。

ツンドラの大雪原は人間が作ったどんなテーマパークも真似できないほど大きく、多様だ。果てしなく続く、広大な白い原野をトナカイゾリで走っていると、まるで「おとぎの国」にいるような気分になる。これまでのグレートジャーニーの線を結んでいく行程はいくつものミニ・エクスペディションから成り立っている。例えばベーリング海峡カヤック横断、アラスカ西部ツンドラの犬ゾリによる横断、パタゴニア南部氷床縦断等等。そのどの行程でも、とにかくミニ・ゴールに早く着きたいと思いながら、旅を続けていた。というのはいつもミニ・ゴールに着けないかもしれないという状態で進んでいるからだ。犬ゾリの旅ではあまり雪が深いと、犬が雪の中に埋もれてしまってスピードでないし、犬の消耗も激しい。逆に雪が少ないと石等が出ていて、ソリが壊れやすい。とにかく「なんとか早く無事に目的地に着けないものか」と思って旅をしている。ところが、このトナカイゾリの旅だけは「このままずっとソリに乗っていたいな。まだまだ目的地に着かなければいいのに」と思いながら進んだ。

しばらく行くと、オホーツク海に出た。海は完全に凍っていた。海岸と乱氷帯の間は、比較的平らなので、思い切ってスピードが出せる。凍ったオホーツク海をトナカイゾリで走れるとは思ってもみなかったので、気分が高まった。この海を辿っていくと北海道に繋がるのだと思うと胸が熱くなってきた。オホーツク海から、再びツンドラに戻る。だが、私とアナトリさんだけが海氷上を突っ走ったので、他のソリは後方に見えなくなってしまった。しばらくその場で待つことにした。遅れてやってきた遊牧民たちが、親指を突き立てて、私の操縦が上手になったことを褒めてくれた。みんな私を見てニコニコしている。アナトリさんも、5段階で5点という評価を付けてくれた。

このままトナカイゾリで走り続けたい気分だったが、目的地のウスチパレン村まではあとわずかしかない。トナカイは、村の5km手前までしか入れないので、ここでトナカイゾリを降りなければならなかった。

コリャークの老人たちの

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さあ出発だ

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そり用のトナカイを選ぶ

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ツンドラの必需品はナイフ、マッチ、釣り道具と裁縫道具

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トナカイそりに乗るの

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トナカイそりをくくるコリャーク

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トナカイそり入門

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旨そうに煙草を吸う、至福の時

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春は出産ラッシュ

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真冬のシベリア1

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真冬のシベリア2

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