レンバタ島 2010/8/2

イルカも網にかかる

イルカも網にかかる

 2年ぶりに、インドネシアの南部、小さい島が並んでいるフローレス諸島の東の端にやって来た。バリ島のデンパサールから飛行機とバス、フェリーでレンバタ島の北の玄関レワレヴァに着く。ここからトラックを改造したバスで4時間揺られると、南海岸にあるラマレラに着く。

 前回は9日間いたが、幸運にも2度もここのハンターたちがマッコウクジラを射止める場面を見た。ここでの猟期は5月から9月だ。私がやって来た7月下旬は既にシーズンの終焉を迎える時期だ。クジラはたくさん取れて、家々の軒先にはクジラやマンタが棹に並べられ、干してあるものと思っていた。ところが、ほとんど干していない。聞けば2カ月間、クジラは捕っていないという。

 ラマレラに着いた翌朝、プレダン(クジラ捕り用の伝統的木造船)の1台に乗ろうと思ったが、船は早朝に海から戻ったばかりで、昼間は出猟しないようだ。海岸にはたくさんのマンタ、イルカ、マンボウ、サメの他にカツオや、ドラード、マグロなどやや大型の魚が上げられていた。以前は魚など捕らなかった。2年前と様子が大分違う。徹夜で海に出ていた男たちは獲物を解体し、分配し、女達が家に運んでいく。解体作業をする男たちに話を聞いて、やっと事情が分かった。今年からすべてが変わってしまったようだ。

 政府が彼らに長さ25~30m、幅18mの漁網を提供した。他の地域の漁師と同じように夕方にエンジンボートで10数km離れたところに刺し網を仕掛ける。一旦村に戻ってもいいのだがガソリンを節約するためにそこで夜明けを待つ。明け方に刺し網を回収して村に戻る。

 以前はマンタを捕る時も、マッコウクジラを捕る時と同じように、船でマンタに近寄り、5~6mの銛を抱えてマンタに向かい、全体重をかけて飛び込んだ。危険も伴う。3年前、泊めてもらっている家の息子が、銛をもってマンタに向かって飛びこんだが、ロープが絡まって、マンタに引きずられ、亡くなった。刺し網で捕るとその危険は格段と減る。

 クジラは捕れないが、マンタの他に他の魚も捕れる。彼らはマッコウクジラを食肉用としてではなく、米やトウモロコシとの交換物として使っていた。肉や脂は彼らにとっても贅沢品なのだ。

 彼らはこの網漁を気にいったようだ。と言うのは、今までは毎日プレダンで出猟していた。プレダンも昔はすべて帆走していた。クジラを見つけると、思い切りオールを漕いで獲物に近寄る。ところがエンジンを使うプレダンが現れた。するとクジラを発見した後の接近の機動力がエンジン船のほうが優れている。エンジンを持っていないプレダンは後塵を拝することになる。結局すべてのプレダンがエンジンをつけるようになった。

 ところが、毎日エンジンをかけて出猟しても滅多にマッコウクジラには出会わない。たまにマンタが捕れる。ところが夜網を刺すと、1隻につき1~3匹のマンタが掛かる。おまけに魚やイルカなども捕れる。クジラと比べて量的にはかなわないが、マンタや魚も高く売れる。毎晩網漁に出掛けて、陸からクジラを発見した時だけ、出猟したほうが効率がいいのだ。

 エンジンと漁網が彼らを猟師から漁師に変えてしまったようだ。3年前から電気が通じ、携帯電話も通じるようになり、観光客も多くなった。

 マッコウクジラ保護のために、捕鯨をやめさせて、ホエールウォッチングで観光客を呼ぶ、エコツーリズムの導入を唱える者もいるが、滅多に現れないホエールウォッチングに来る者はいないだろう。それよりは今年から始まった、陸から見つけた時だけ捕鯨をするという選択はいい落とし所かもしれない。私自身は以前のように毎朝出猟する猟師であって欲しいが、捕鯨をやめたわけではないし、やめないだろう。今年も、少ないが7頭捕れている。彼らがどう変わっていくのか興味深く見つめていきたい。

ナイスカップル

ナイスカップル

ボートを艇庫に運ぶ

ボートを艇庫に運ぶ

マンタを運ぶ

マンタを運ぶ

マンタを解体する

マンタを解体する

魚を運ぶ

魚を運ぶ

新調のネットを整頓する

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