昨年の夏から始めたメコン川の水源から河口に向かう旅は7月の末に… 2007/8/26

昨年の夏から始めたメコン川の水源から河口に向かう旅は7月の末に、カヌーで南シナ海に出て、終了しました。途中で寄り道をしていたので、時間がかかりました。一昨年始めた新グレートジャーニー「南ルート」はまだ中国と朝鮮半島、朝鮮海峡を残しています。メコン下流の仏領インドシナの旅はラオスに時間をかけ、2月~4月のおよそ2カ月間を費やしました。それでも見えたのはラオスの一部だけです。カンボジアとベトナムは駆け足の旅でした。

一番貧富の差が大きいのは立憲君主国となったカンボジアですが、社会主義を選んだラオス、ベトナムも市場経済の導入後、中国ほどではないにせよ、少しずつ貧富の差が広がっているようです。中国人はアメリカ人を好きなようですが、ラオス人の多くはアメリカ人が嫌いです。外国人観光客が増えていますが、ジーンズをはくと白眼視されるほどに反米です。ベトナム戦争時代に北から南への兵器、食料、物資の補給路ホーチミンルートがラオス内を通っていたからで、一般村民の住む村に600万トンの爆弾を落としたといいます。その当時人口は600万人だったので、一人当たり1トンの爆弾が落とされたことになります。一時は日本軍が旧都ルアンプラバーンを占領したこともあるのですが、その面影は見えません。

長い間フランスの植民地だったので、その面影が建物やフランスパンなどの食事に見えます。中国から陸路でラオスに入ったのですが、人々が穏やかで人懐っこいのが印象的でした。こちらが会釈したり手を振ると必ず、笑顔が返ってきました。というより自転車を走らせていると、子供たちが大声で声をかけてきます。とはいえ社会主義の国なので、勝手に民家に寝泊まりできません。その点カンボジアは自由に行動できます。

ラオスやカンボジアでは「ベトナム人はがつがつしていて、攻撃的だ」というイメージで語られていたのですが、政治家や実業界の主流はいざ知らず、ほとんどの市民、村民は素朴で、やさしい人たちでした。地方の役人もこちらが普通に行動していれば、腰が低く、親切でした。1975年にアメリカに勝利してから、アメリカに協力した多くのベトナム人がアメリカはじめ海外に流れて行きましたが、残った人たちもいます。彼らは収容所で再教育を受けた後、車夫などをしていますが、好きな職業やポストにつくことはできません。話を聞いてみたかったのですが、今回は正式の取材許可をとって入国したので、自由には取材できませんでした。機会があれば許可なしでベトナムを歩いてみようと思っています。