予定より早く2月にロシアより戻りました。 2005/03/11

予定より早く2月にロシアより戻りました。ハバロフスクに着くとすぐに吹雪が始まりました。身動きできなかったのですが、少しずつ移動して行きました。極東シベリアでの停滞はいつものことで慣れてはいるのですが、「またか」とため息も出ます。ようやく最初の目的地、アムール川下流域のカルチョンという村に着きました。昨夏に滞在したことのある村です。冬の罠を使っての毛皮猟を見るためでした。1週間滞在した後、ナザレフに向かいました。夏に自転車で到達した間宮海峡に面した町です。

ここでサハリン取材に来ていた作家の熊谷達也さんや友人の土方正志、奥野安彦、山川徹さんと合流しました。熊谷さんは大正時代のマタギを描いた『邂逅の森』で直木賞・山本周五郎賞を昨年受賞したのですが、前作の『相剋の森』に続きマタギ三部作の作品をサハリンを舞台に書く予定があり、その取材の途中で応援に来てくれました。

ナザレフの対岸ポギビまでが間宮海峡の最短距離(7キロ)です。そこを渡る予定でした。沿岸部はしっかりと凍っているのですが、海峡の中央が凍っていず、蒸気がもくもくと立ちあがっていました。アムール川に近い北部はしっかり凍っていました。1月27日に北側に弧を描くようなルートで、およそ15キロを、重量80キロのそりを引っ張って1日で横断しました。無風快晴のとても気持ちいい天気でした。

その後、ポギビから凍結した間宮海峡を徒歩で南下しました。目標はアレクサンドロフ・サハリンスキーというかつてのサハリンの州都です。ポギビからおよそ170キロあります。天気がいいと夜は冷えます。ポギビ滞在中、零下41度Cまで下がった日もありました。南下の初日の午後から天候が悪化し始め、およそ20キロ南下したところで1週間の停滞を余儀なくされました。しかしそこで世話になった夫婦が魅力的で、キタキツネを罠で捕らえ、なめして帽子を作り上げるまでの工程を見ることができ、天然ガスのパイプライン敷設で脅かされている彼らの暮らしや周囲の環境について話を聞いて、飽きることはありませんでした。

その後南下を続けポギビからおよそ100キロ行ったところで立ち往生してしまいました。沿岸部の氷が歩ける状態ではありませんでした。氷が薄く、動いている上、ところどころがポッカリと空いて青い海水が見えます。私たちが停滞している時の吹雪の時に強い東~北東の風が吹いたために氷が沖合いに流されてしまったのです。3年に1度はそういうことが起きるとのことでした。冬季の間宮海峡の南下はここまでで断念しました。夏にここから陸路を南下することにして、ひとまず引き上げることにしました。