インドネシアから 2010/8/30

1週間に一回、船底を焼く

1週間に一回、船底を焼く

 8月はボルネオ島の東の海上にいた。今年3月に訪れた家船生活をしている漂海民バジャウの処に行って来た。3月に行って、家船に乗せてもらっている時、彼ら全員が不法滞在で拘束された。警察は私の扱いに困ったようだが、船には乗っていないことにして、私は駐在所で、別に取り調べられた。バリクックという小さな島で拘束された彼ら103人は即日ボルネオ本島に送還されたが、私は翌日に無罪放免になった。私は彼らのことが気になって、彼らを追いかけた。

 漂海民たちは車で6時間かけてボルネオの内陸の町に護送され、体育館のようなところで、軟禁状態になったが、NGOや人権擁護委員会の働きかけもあり、1カ月で解放された。今回私が行くと、以前と同じように家船で暮らしていた。そのうちの一艘に居候させてもらった。

 彼らもいずれ海の上に杭を打ち、その上に家を建てることになっている。漂海民バジャウと言っても10万人以上いるが、ほとんどが家も持っていて、本当に船しか持っていないのは彼らだけだろう。その最後の家船生活者の船に居候させてもらっているだけで、消え行く文化を一緒に体現できることに高揚していた。

 しかし、彼らと海を漂いながら暮らしていて、はっと気がついた。私たちの縄文号、パクール号の航海は、漂海民の暮らしそのものではないかと言うことだ。

 24時間海の上にいて、魚を捕って食べ、寝て、排泄し、薪や米、飲料水、野菜を手に入れるために時々島に寄る。

 エンジンをつけ、しっかりとした屋根のある漂海民の船より、帆走する私たちのカヌーのほうがより原始的だ。

 海での生活形態だけでなく、海で暮らす、あるいは海を移動する理由も似ている。

 漂海民は海のジプシー、海の遊牧民とも呼ばれているが、海のアウトカーストと呼ぶ人もいる。政治的には、地球上でも最も弱い民族の一つだ。強い民族に圧迫され、海賊の餌食になることはあっても他民族を支配したことはなかった。

 かつてインドシナとインドネシアの西部がくっついてスンダランドという大陸を形成していた。人口増加、海面の上昇によって強い者は残り、弱い者は陸沿いに中国方面に行った者が多い。しかし一部は海に適応していた者もいて、大陸を経由せずに海を漂い、その一部が沖縄まで達した。その太古の漂海民に思いを馳せながら航海しているのが、まさに縄文、パクールの航海だ。

 海を漂って生きていかざるを得なかった弱小民族と言うことでも、バジャウと海のグレートジャーニーは共通点があるのだ。

エイを叩く

エイを叩く

サメを曳航する

サメを曳航する

サメを引き上げる

サメを引き上げる

魚の解体

魚の解体

キャッサバの料理、小舟ではサメの解体

キャッサバの料理、小舟ではサメの解体

海のカマキリと言われる、巨大シャコ

海のカマキリと言われる、巨大シャコ

雨が近づいてきた

雨が近づいてきた

雨の降る中

雨の降る中

パンの木の実を揚げる

パンの木の実を揚げる

船での食事

船での食事

船の屋根には魚、シャコ貝が干してある

船の屋根には魚、シャコ貝が干してある

船の後部は台所、トイレとなっている

船の後部は台所、トイレとなっている

旦那は虱をとってもらい、赤ん坊はあやされる

旦那は虱をとってもらい、赤ん坊はあやされる

夕景

夕景