インドネシア報告(6) 竹材を調達する 2008/9/24

 一緒に日本まで航海するマンダール人と山岳地帯に住むトラジャ人は隣接して住んでいる。現在は、海岸地帯に住むマンダールと山岳地帯に住むトラジャの間で特に密接な交流はない。ミカンなどの果物、魚の干物、鮮魚、ヤシの実や砂糖が海岸部からトラジャの地にやってくる程度だ。トラジャの多くはもっと近い東側の海岸部の人々と交流が深い。

 ママサというマンダールとトラジャが隣接する地域にやって来た。アウトリガー用の太い竹は海岸部にはない。それがママサにたくさんあると聞いたからだ。

 リドゥワンによればこの隣接部に住む住民はマンダールで、クリスチャンだと言うので、とても興味を持った。言葉もマンダールとトラジャは非常に似ているということだ。

 しかし実際にやって来て、住民に話を聞いてみると、ほとんどの人は「私は西部トラジャ人です。行政的にマンダールの土地に属していますが、私たちはトラジャ人です」と言う。宗教的にはクリスチャンが多い。もちろんイスラム教徒のマンダール人はいるが、比率は低い。

 様々なトラジャの起源神話があるが、

ベトナムか中国の方から船に乗ってやって来たが、トラジャの土地にやって来た時に急に土地が隆起して、そのままそこに残った。そのために家の形が舟型なのだ。
川を利用して海岸部から船でやって来た。
 どちらも水路を利用してやって来て、その後舟は利用しなくなったが、家、墓、棺などにその影響が残った。

 確かに彼らの多くの家々や墓が見事に舟の形をしている。海岸部の道はいいが、ポレワリから山道を上ると、道が整備していないので、ガタガタだ。水溜りも多く車は揺れる。船酔いするのではないかと思うほどに揺られた。高度があがると植生も変わり、竹がちらほら見える。カカオやコーヒーを栽培している。やがて針葉樹の松も見えてきた。一番目を引くのはやはりトラジャ独特の舟の形をした建造物だ。標高1000m近い、小さなママサの町に着いた。

 早速、直径18cm前後の太い竹がどこにあるか調べ始めた。ホテルや町の人に聞くとバラというところで太い竹があるという。しかし「そんなに遠くに行かなくても近くに太い竹はあるよ」と言うので、行ってみた。確かに町の中心から1kmほどの所に竹が密生していた。太いが計測してみると、16~17cmだ。少し細い。

 翌日、バラに行く。ママサから車で10kmほど戻って、ドミンゴスと言うところに行くと、舟型をした家々や倉庫が並ぶ村に着いた。イエスの肖像画が貼ってある。舟型の家の前で女たちが機織りをしていた。観光地かと思ったら観光客はほとんど来ないという。裏手の山に竹林があるというので、村人に案内してもらった。確かに太い竹が群生していた。難点は道が狭くトラックが入って来れない。運び出すには道路まで数キロ担いで運ばなければならないことだ。候補としていた場所にない場合は戻ることにして、ママサに近いタワリアンに来た。

 町にごく近い所に直径20cm近い竹が群生していた。太ければどんな竹でもいいかと言うとそうではない。若すぎてもいけないし、老成して表面にカビが生えているものも適切でない。オーナーが来るのを待って、アドバイスを受けながら竹を選んだ。太さや竹の年齢だけでなく、群生している竹の位置やしなっている方向も問題だ。また藪の中は切りにくい。アウトリガーに必要なのは1本だが、スペアーも含めて4本選んだ。オーナー氏は今まで家族で使うだけで売ったことはないが、1本5万ルピア、およそ600円で譲ってくれた。

 そこまでは良かったのだが、自分たちで切りたいのだと言っても、聞き入れてくれない。車に戻ってナタを取りに行っている間に年老いたオーナー氏が1本切ってしまった。ところが下の太い所をきれいに切ったが、他の竹に引っ掛かってしまい倒れてこない。ロープをかけて引っ張ってようやく倒れた。長さ20m以上あり、結構重い。道路に近いのは幸いだった。それでも藪の中を道路まで引きずりおろすのに難儀した。いつの間にか近くに住む人々が来て協力してくれた。1人の老人は「軍艦マーチ」を日本語で正確に唄いながらロープを引っ張った。「君が代」も歌えた。

 2本目からは老オーナーを遮って、日本で作ったナタで竹を切った。実際に使うのは10~12mだが、まだ舟大工も決まっていないこともあって、17mの長さのところで切った。

 汗がたくさん出てくる。竹林の近くの家族が水、アイスキャンデー、まんじゅうを用意してくれた。しきりに勧めてくれる。食べたい、飲みたいのは山々だが、断食の身だ。勧めてくれる人たちはクリスチャンだ。イスラム教のラマダンとは関係ない。喉はからからだし、しきりに勧めてくれる家族にもすまないと思ったが、じっと我慢した。

 竹の切り出しよりも、トラックの運搬が大変だった。竹は長さ10mほどのトラックから大きくはみ出している。そのまま積み込んで、いったんママサに運んだ。後ろに大きくはみ出した竹は大きく左右上下に揺れる。周囲の車や人にぶつかるとまずい。案の定道路工事中の個所でセメントのミキサーを殴り倒してしまった。

 町で警官にもっと短くするように注意されて2m切り、15mにした。それでもカーブが多く、でこぼこの道ではトラックの後方に伸びた竹は大きく揺れた。時速10km以下で徐行運転するトラックの後ろからワゴン車で追いかけた。注意しないと追い抜いたり、すれ違う車、バイクをなぎ倒してしまう。人に当たっても大怪我をする。追い抜くバイクも恐る恐る追い抜いて行く。時々後部で荷崩れがする。その度にしっかりと固定しなければならない。これにも時間がかかる。ランベからママサに来る時は6時間で来たが、竹を連れての帰り旅では午前8時に出て、ランベの宿舎に着いたのは午後11時近くになっていた。しかし海の男たちが迎えてくれて、「いい竹を持って来たね」と労をねぎらい、ほめてくれたので、ホッとした。

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 マンダール川の上流、アルーに細い竹を取りに行った。アウトリガー用の直径18cmの太い竹を4本手に入れたが、直径10cmほどの竹が40本必要だ。マンダール川はティナンブンで海に流れ出る。そのためこの川の流域で大雨が降ると、宿舎のあるランベの海もミルクコーヒー色に変わる。この川の20kmほど上流にカヌーの材料になる竹が密生しているというので、取りに行った。高床式の家が並ぶ典型的なマンダールの小さな村だ。車で着くと、早速、日本から持って来たナタを持って、川近くの竹藪に入って行った。6人の村人たちが手伝ってくれるという。大きな竹はない。直径10cm前後の竹があちこちに群生している。太い竹と同じように若すぎる竹もまずいし、成熟しすぎた竹もよくない。村人に竹を選んでもらって切っていった。

 いい竹が外側の切りやすい所にあればいいのだが、群生している竹の中の方にあることもある。そんな時は無理な姿勢で切らなければならず、手こずる。竹藪は日が容易に差し込むので暑い。切り出し、集め、河岸に運んでいるうちにフラフラしてくる。汗が額や首筋、背中をほとばしる。断食中なので水が飲めないのがつらい。

 河岸に運びだすと、早速二台のイカダを作る準備を始めた。余分に取って来た細い竹から皮を剥いで竹を縛るロープを作るのだ。18本の竹をきれいに揃えて並べる。後部、中央部、前部に幅1.5mほどの竹を敷く。18本の竹を竹紐でその横竹に縛りつけていくのだ。今まで見たことのない縛り方を教えてもらった。最初は戸惑ったが、手とり足とり教えてもらい、次第に1人でできるようになった。両サイドに竹を1本ずつ足して重ねた。これで完成。長さ11m、幅1.5mの二台のイカダができた。猛暑の中の肉体労働に、脱水が加わり、空腹で、喉が渇き、かったるい。しかし時間はまだ午後1時前だ。予定では翌日の早朝に目的地のティナンブンまで運ぶ予定だった。しかし4~5時間で下れるというので、明日を待たずに下れそうだ。宿舎も用意してくれているのだが、今日中に帰れるのならば、下ってしまいたい。ところが村人やリドゥワンは今から下ったら夜になってしまうので明日まで待った方がいいという。

 村人やリドゥワンに今日中に下りたくない事情があるようで、翌日に下ることにした。しかし若いクルーたちは、今日中に下らない納得できる説明がないので、不満が残ったようだ。翌日に下りたい理由は単純だった。村人たちもイスラム教徒だ。断食をしている。本当は断食月は仕事をしたくない。午前中はなんとか我慢して仕事をするが、午後まで働きたくない。昼寝をしたい。また私たちが泊るのを予定して、午後6時の断食明け後の食事を用意してくれていたのだ。それらの事情を最初からはっきり言ってくれれば納得するのだが、言い出せない。リドゥワンは「田舎の人だから」と片付けてしまう。

 それにしても断食明け後の、氷の入ったココヤシ汁は喉にしみた。喉を冷たいものを通る快感は久しぶりのものだ。その後食事も家族の女性たちが丹精込めて作ってくれた手作りのもので旨かった。

 翌日はまだ暗い午前3時30分に断食初めの前の簡単な食事をとった。5時30分にイカダで下り始めた。瀞もないが急流もない。大きな蛇行を作って流れているので、時々瀬がある。全行程ほとんど棹のさせる浅さだ。浅いので、大きな石やヤシその他の倒木が横になっていたり、障害物は結構ある。瀬で石に引っ掛かった時は下りて押した。

 早朝なので、河岸には水浴びや洗濯をする人々がたくさんいた。声をかけてきたり、見物したりする人も多いが、無関心な人も多い。イカダが下って行くのはここでは珍しいことではない。土曜日にティナンブンで、竹の市があるので、皆私たちと同じように金曜日に下るのだ。

 竹イカダでオートバイを運んでいるシーンに出会ったが、河口近くまで橋が全くない川なので、渡しとして活躍している。ワイヤーが張ってあり、滑車でイカダと結び、増水で水の流れが速くなっても渡れるようになっている。ティナンブンの鉄橋を渡り、午前10時30分に竹の集結場に着けた。

 これで船底部、アウトリガーの竹、帆などが揃った。まだマストやアウトリガーを支える腕木を作るためにチーク材を切り出さなければならない。張り綱用のラタン(籐)も集めなければならない。しかしほとんど宿舎周辺の自然の中から取り出せそうだ。ロープはここではイジュというヤシの古い葉間の間に絡まっている繊維をよじって作れる。ここの森は素材のデパートのようなものだ。日本でも武蔵美の学生や卒業生がシュロをはじめとして様々な素材を点検してくれている。すべての素材に私たちクルーの命がかかっている。強度テストなどをして、最も私たちの安全を守ってくれるだろう素材を選ぶつもりだ。