インドネシア報告(7) トラジャの葬送 2008/11/25

 アウトリガー用の竹を切った翌日、日曜日だったので教会に行った。続々と信者たちが集まって来た。聖書を読み、讃美歌をうたい、牧師が説教をする。参列者の中には説教を聞き、聖書を読みながら涙を浮かべている者も多い。プロテスタントと言うが、ミサの雰囲気はカトリックと似ている。牧師が説教をする。聖書に準じた話とともに、現実の世界の話も加わる。時に牧師は興奮気味に話す。石油などの高騰とそれに応じた物価の上昇で人々の暮らしは厳しい。「辛い苦難の状況にあるが、ここは辛抱して切り抜けよう」と呼びかける。参列者の年齢は高く、牧師の説教に涙を流す者も多い。

 彼らはクリスチャンだが、アニミズムも信じている。独特の死生観を体現している葬式にそれが見られる。滞在中に大きな葬儀に出会った。ママサでも今までにない大きな葬儀だという。土地の人に「運がよかったね」と言われた。医学的な死は13カ月前だという。その後13カ月の間、家の中で死者は病人として扱われ、家の中に家族とともに安置される。

 その間、その家族の者の結婚は許されない。食事も悲しみの表現として、質素にして、米飯は食べない。トウモロコシを食べる。亡骸にも家族と同じように食事を捧げる。家族で何か決め事がある時は亡骸にも相談するなど「生きている存在」として扱うのだ。

 昔は死臭を消す草、タバコなどを入れた棺にチューブを入れて、出てきた死者の体液を地面に流し込んでいた。しかし今はホルマリンで処理したり、防腐剤を注射するなどの防腐処理をしている。トラジャの本拠地タナ・トラジャでは10年以上家に安置してから葬儀を行うこともあるという。

 トラジャは方角で言うと「北」で生まれ、「東」で生きる。「南」で病気になるが、心停止、あるいは呼吸が止まっても、トラジャではその状態をまだ「死」と看做さず、病気で伏せているとみる。そのために家に安置する。葬儀をして初めて死者となり「西」に行く。キリスト教の世界では、死を迎える時に最後の審判を受ける。そして地獄に行くか、天国に行くか決まる。トラジャでは「魂は自然に戻っていく」と言うが、自然のどこなのかと尋ねると、「どこかは分らない」と言う。

 その間に葬儀の準備をする。「トラジャは死のために生きている」と言われるが、いかに死者のために散財するかで、周囲の人々の尊敬を集める。「葬式が大きければ大きいほど、死者は早く天国に行ける」と言う人もいるし、「大きな葬儀をすれば天国で恵まれた待遇をうける」と言う人もいる。トラジャでは王国だったころの名残で、王族、貴族、平民、奴隷の身分制度が残っている。昔ながらの奴隷はいないが、被差別民として扱われている。低い身分の金持ちもいれば、高い身分の貴族もいる。身分の違うものの通婚は許されない。

 死者の家族と話していて、気になったのはカーストという言葉だ。トラジャ社会には階層があるという。かつての王族に属している家族やその血筋を引く者、高官の末裔などが階層が高いという。トラジャとは「ト=人」「ラジャ=王族」、つまり王家の人々という意味だという。階層の高いものはそれに応じた葬儀もしなければならない。タナ・トラジャでは階層が違うと結婚もできない。しかしママサでは経済的に力を持てば成金でも階層の高いものと結婚できるという。

 カーストという言葉が出てくるので、違和感を感じていた。クリスチャンで教会に礼拝をし、葬儀はアニミズム的に行うトラジャが何故ヒンズー教のカーストと言う言葉を使うのか。ここの宗教史を知って納得できた。ここで最初に信じられていたのはアニミズムだがそこにヒンズー教が入って来た。ヒンズー教は多神教なのでアニミズム社会には受け入れやすい。やがてオランダ人がやって来た。プロテスタントのオランダ人は巧妙に布教した。改宗をし易いように、アニミズム的なもの、ヒンズー的なものを禁じることなく布教したのだ。南米の民族的カトリシズム、自然信仰、アニミズム、シャーマニズムとキリスト教の融合と似ている。南米にやって来たスペインの神父たちが、自然信仰を信じている先住民たちがなかなか改宗しないので、最終的に自然信仰を認めた。また自然信仰とカトリックを結び付けるような伝説をカトリック側が作り、見事に成功させた例もある。

 日用品、飲み物を買いに行く雑貨屋の女主人が大きな葬儀がオサンゴという地域で行われることを教えてくれた。初日にたくさんの参列者が来て、115頭のブタがお香典として持ち込まれ、すべて屠殺されたという。

 葬儀2日目の昼過ぎに会場に行ってみた。会場では既に参列者が次々と来ていた。参列者は家族ごとにやって来る。会場に行く道路は混雑が予想されているので、警察が交通整理をしていて、車は入れない。一旦会場の入り口を通って教会前の横断幕のある、参列者用の入り口に行かなければならない。そこでは数頭の水牛が男に引っ張られて歩き回っている。参列者が揃うと水牛を先頭に行列を組む。水牛は角と胸の周りをきれいに着飾っている。田畑で使役されたことのない雄牛ばかりだ。この後闘牛をして、最後は殺されて葬儀の参列者、葬儀の準備、進行、屠殺・解体・料理などの裏方の仕事をした人たちが舌つづみを打つ。

 鉄の太鼓による不思議な音色が近付くと共に大きくなってきた。4つの音色の組み合わせとは思えないほど、複雑な音楽になっている。水牛、太鼓を奏でる4人の男、捧げもののブタ、黒装束の女性、男性の順に並んでいる。一組100人を超える参列者が入れ替わり数組参列した。黒装束に刺しゅうやビーズ、織り模様が鮮やかだ。

 家族ごとに集まった参列者は会場に入る。先頭に牛を引く男たち、その後ろに太鼓を担いだ男たちが叩きながら先導する。その後ろに黒い装束で身を固め、上にいくつかの玉を乗せた帽子をかぶった女性たちが続く。この帽子も限られた身分のものしかかぶれないのだと言う。その背後に男たち。会場に入ると遺族の女性たちが待ち受けている。訪問者と抱き合ったり、頬ずりをして挨拶する。女たちは正面の建物の棺のある部屋に通される。

 会場もまた、赤や金に彩られ、来客者を迎えるための建物が家屋に増設されるようにして竹で作られていた。広場を見渡せるとろに、死者の棺が置かれている。それにも舟の形をした屋根が掛けられていた。棺のある建物には女性だけがあがれる決まりだ。

 参列者の最後尾の男たち40人が指をつないで円を描き、歌い始めた。一角の数人が歌うと、それに呼応するように、全員が歌う。押し寄せる波のような心地よい響きだった。「死者のために天国に行く道を開けてください」と頼んでいると言う。

 あたりには犠牲として、次々と火にかけられて毛を焼かれた後に解体されるブタの悲痛な鳴き声と毛の焼けた独特の匂いが漂っていた。

[ 解体 ]

 「ゴッスン」と鈍く重い衝突音に集まった観衆は興奮に包まれていた。熱気に包まれている。手の届く距離で、2頭の水牛が角を突き合わせている。一瞬たりとも目が離せない。

 葬儀は最終日の3日目だ。捧げられたブタは初日だけで115頭、2日目も100頭以上が犠牲になった。最終日に捧げられるのが水牛だ。死者の魂は天国ではなく、自然のどこかに行くという。そして死後の世界にもカースト制があり、多くの捧げものをするのは死後もよりよりい身分になるためだという。(トラジャの中心地では天国に行くと言っていた)

 激しいぶつかり合いの後、お互いの首元に血がにじんでいく。水牛が少しでも動くと、それを取り囲む群衆が八方に逃げ惑う。水田の泥に足を取られながら、人も必死だ。均衡が崩れた。1頭が力負けして逃げて行った。道路を走ってはるかかなたまで追いかけっこが続いた。最初の水牛には酒をたらふく飲ませていた。興奮の極限にいたのだ。その後次々と水牛を闘わせようとするが、素面のためか激しい戦いにはならない。最初から戦闘意欲がなく、逃げてしまう水牛もいた。

 数時間後儀式が始まった。赤を基調に金の装飾を施された衣装の少年と成人2人が現れた。水牛の角の頭飾りに鳥の羽根のついた槍を手に、鳥が飛ぶように舞った。止まっては狙いを定めるようにして槍先を空に向けた。捧げものの水牛の魂を横取りにしようと狙う悪魔を打つためだと言う。

 その後、解体が始まった。横倒しにした水牛の首元の頸動脈を気管ごと切り裂いた。呻くような叫びに続いて、噴き出した血しぶきが散った。足を痙攣させた後、息絶えた。先ほど激闘していた水牛があっけなく死んでいった。屠殺された水牛たちはてきぱきと解体され、一か所に集められ分配されていった。