インドネシア報告(5) ラマダンと帆の材料 2008/9/16

 9月1日からイスラム教徒の多いインドネシアでは、ラマダンが始まった。イスラムの聖なる1カ月で、信者は断食をする。

 私たち日本人クルーも、インドネシア人クルーのリドゥワンがイスラム教徒なので、断食に付き合うことにした。

 イスラムの断食に付き合うのはこれで二回目だ。2001年にスーダンのヌビア砂漠を横断する時にも、ラマダンにぶつかって、同行のスーダン人に付き合って、断食をしながらヒトコブラクダの背にゆられたり、歩いたりして、横断をした。

 日本の断食では数日間水以外の飲食はできないのだが、イスラム断食は太陽が出ている間は食べ物、水分も唾も飲んではいけない。逆に言うと日没後あるいは日の出前は食べても飲んでもいいことになる。

 スーダン人の同行者から誘われた。「太陽が出ている間は食べられないし、水分もとれません。唾も飲んではいけないのです。猥褻なことを考えてもいけません。食べられない人々に思いを寄せ、イスラム教徒同士、一緒に断食を行う者の連帯感を持つために行います。一緒に付き合ってみませんか。いい経験になりますよ」という勧めに従って、断食をしながらヌビア砂漠を横断した。初日、2日目はきつかった。暑く、乾燥した熱帯の砂漠で、水を飲めないのは辛かった。しかし次第に慣れていった。

 今回も赤道近くの熱帯での断食だ。やはり初日は辛い。しかしそれほど激しい運動、労働をしないこともあって、今では慣れてきた。

 この間カヌー造りの作業も一時中断だ。現在宿泊しているランベ(村にランベという赤い椿のような花を咲かす大木にちなんでつけられた。海からはこの大木がランベ接近の目印になる)の人々の仕事も停滞している。午前中は働くが午後は昼寝したり、ゴロゴロしている人たちが多い。宿舎の前を通る馬車の数も減っている。インドネシア人の多くはイスラム教徒なので、国全体の生産力は落ちているはずだ。役所も開いているが、ほとんど仕事をしていない。午後6時10分頃に断食明けがあり、その1時間ほど前から人々は外に出て、日没後の食事、礼拝の準備に取りかかる。この断食明けが待ち遠しい。そして時間が来た時の一杯の水がやたらとおいしい。インドネシア人は軽い食事をして、礼拝をし、それから本格的に食事をする。日の出になると食べられないし飲めないので、午前3時半ころから朝食を取る。普段より食べる量は増えている。私もラマダンが始まってから少しお腹が出てきたようだ。

 帆の材料についていろいろと考えた。1975年にミクロネシアのサタワル島から沖縄まで一艘のシングル・アウトリガー・カヌーが航海した。チェチェメニ号と呼ばれたこのカヌーの帆はバンダナスという植物の葉を編んで作られた。沖縄の海洋博に合わせて造られたこのカヌーと同じようにバンダナスを使おうかと思った。しかしチェチェメニ号がバンダナスの帆を使ったのは出発時と到着時だけで、実際の航海では化学繊維の帆を使ったと聞いて不安になった。

 マッコウクジラ猟をしているラマレラではゲワンヤシの葉を編んで帆を作っている。しかし、ここでもこの帆はすたれ始めている。エンジンを使うようになったからだ。

 編んだ素材は目が粗いし、重くかさ張る。天然素材で織ったものがあればいいなと思っていると、マンダール人が作るいい素材があった。ラヌというヤシの葉から作る素材だ。私たちの宿舎から車で1時間もかからない所で作れるという。その村の名前が素材と同じ「ラヌ」と言う。昔はそこら辺一帯がラヌ椰子に覆われていたという。今は開墾されて畑や田が作られている。

 村長に教えてもらって、ラヌ椰子から布を織れる家族を紹介してもらった。その家族の主人は快く協力してくれることになった。早速ラヌ椰子に梯子をかけて登り、ラヌ布の材料を取って来た。ラヌ椰子の若葉だ。この若葉を乾燥させて、細く裂いて糸を作る。

 今は化学繊維隆盛の時代だ。ラヌ椰子の需要はない。私たちが注文すれば30年ぶりの注文だという。ラヌ椰子での機織りは廃れてしまったが、今でも同じ織機を使って絹や綿のサルーン(インドネシア人の常用する腰巻)を作っている。その織機を使って幅80cm、長さ6mのサンプルを作ってもらうことにした。私たちが北部のムハジールでカヌーの舟底部を作っている間に織ってくれることになった。

 9月から雨期が始まる。ラヌ椰子の若葉は乾季でないと採取しにくいと言う。

 ムハジールから帰ってるとサンプルが出来ていた。織ったものだけにパンダナスやゲワンヤシから作ったものより緻密だ。ブールーシートに似ている。思ったよりかさばらず、軽かった。若葉の乾燥させたものがたくさんあったので、その工程を見せてもらい、実際に織らせてもらった。

 この帆を使って航海したことのあるパパ・サムラという舟大工に話を聞くと、この帆を使った帆船でスマトラやジャワまで行ったという。どのくらいの期間使い続けられるのかと尋ねると「2カ月は大丈夫だよ」と言う。この素材で三枚の帆を作ることにした。